私は1960年の夏に小豆島で生まれました。現在の東かがわ市で祖父と仲違いした父が実家を捨てて母と二人の姉を連れ、自身がそれまで身につけたハマチ養殖の技術を生かせる場として選んだのが小豆島だったらしいです。そのため、親戚と家族を全て合わせても小豆島生まれは私一人で、親や姉たちにとっては親戚の一件もないよそ者からのスタートでした。はじめに暮らしたのは苗羽(のうま)地区で、現在で言う「ひしおの里」ですが、醤油工場が建ち並ぶその町で、姉はその工場のにおいに馴染めず、移り住んだ最初は嫌で仕方なかったと大人になってから言っていました。
私も、工場の横を通ると漂ってくるそのにおいを好きだと思ったことはありませんが、生まれてからずっとなので特に意識するほどでもありませんでした。
よそ者だった親が感じた小豆島の特徴としては、親たちがとても教育熱心ということで、実際、小豆島というところは老若男女問わず、離島とは思えない高学歴の人々が多く暮らしていました。そのためか、ハイカラで新しもの好きな人の数も意外に多く、これもまた離島であるにも関わらず、陸続きの田舎育ちの友達から聞いた話と比較して、はるかに近代的で便利な暮らしをしていたと知ったのが学生時代でした。
しかし、島の内外で暮らす友達と現在でも同意見なのは、島外のどこへ行くにも船の時間を無視できない不便さで、これは瀬戸内周辺の都市にある会社と仕事をしている人たちも感じていることではないでしょうか。生活と仕事の全てを、島内だけで完全に済ませてしまえる人ならまだしも、どんな人だって外との行き来はあるでしょうし、船の一手間というのも度重なれば面倒に感じるかもしれません。
けれども、仕事さえどうにかなったとすれば、その温暖な気候や人々のまろやかさもあって、日々の暮らしやすさは良いのではないかと、そこで育った私は思います。ただ、今また帰って暮らしたいかと言われたら、なかなかに難しい気がする風土でもあります。

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