航路は少し違うけれど

小豆島へ渡り、しばらく勤めた後に父は起業しましたが、良い時代はそう長くは続きませんでした。それでも、ひたむきに海と向き合って汗を流している父の姿は頼もしく見え、その後に味わったどん底生活でもどこか誇らしい気持ちは持ち続けていられたように思います。

一つダメでもまたチャレンジし、それでもダメだった時に、家族を養うことにも待った無しの時が訪れ、父は会社勤めする決断をしました。それが地元と高松を結ぶフェリーの船員だったのですが、根っから海が好きだったのでしょう。とうとう定年まで勤務し続けたのでした。

航路はこれとは違いますが、高松市の高校に通っていた頃、週末に帰省する時はいつも客室ではなくて父が仕事をしていたブリッジ(操舵室)に行き、海をみながら話をしていました。他界した後になって、もっと色々な話を聞いておけばよかったと後悔もありましたが、今でも、これぞ瀬戸内らしい光景だって海域を見ていると、あの日々が蘇ってくるぐらい、島民と海は切り離せない縁がありました。

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